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ぺニャホルの聖ライムンド司祭                  記念日 1月 7日


 ライムンドは1175年スペインのカタロニア州ぺニャホルで生まれた。幼時から秀才で、バルセロナで勉強を始め、イタリアのボローニャ大学に留学して、民法と教会法を学んだ。卒業後、その大学教授となったが、47歳の時ドミニコ会に入会した。彼は修練長に頼んで、最も厳しい苦行をする許可を得て忠実に修道生活を送った。
 修練期を終えたライムンドは、会憲に従って祈りの生活を送ると共に、説教と宣教の使徒的活動を精力的に行って、特に異教徒の改宗には非常な努力をした。
 その頃スペインはイスラム教徒のムーア人に包囲されていたので、その異端が広まらないように、ライムンドは努力し続けた。もしキリスト教徒の生活が模範的であれば、どんな異教徒でも改宗させることができるというのが彼の持論であった。
 1230年、教皇グレゴリオ9世は、彼をローマに招いて教皇付き司祭に任命し、緒問題についての相談相手とした。なお彼が教会法の権威であったので、教会法令の体系的な集大成を編纂させたが、それは教会法の最初の完全な定本としてその業績は高く評価された。
 その翌年、ライムンドはタラゴナの大司教に叙階された。しかし極度の気遣いと過労から病気になったので、辞任して故郷のバルセロナに帰った。修道院でまた一般の修道士として祈りと黙想の生活に入ると健康はまもなく回復し、2年後にはドミニコ会の3代目の総長に選ばれた。65歳で退任するまでにドミニコ会の会憲を作り上げ、それは他の修道会が会憲を作る時、いつも模範とされた。
 ライムンドは1275年に100歳で帰天した。列聖されたのは1601年であった。